宇和島市の北側に位置する吉田町は、江戸時代初期の明暦3年(1657年)に伊予吉田藩として宇和島藩よリ三方石を分知され、仙台伊達の流れをくむ陣屋町として栄えまLた。吉田秩祭リは、吉田藩の総鎮守である南山八幡神社の神幸祭として寛丈4年(1664年)に始まったと言われています。吉田落主の南山八幡神社への崇敬は篤く、藩の寄進と豪商達の財カによって杖祭リは次第に莊厳盛大なものとなリました。とりわけ、町内の各丁よリ繰リ出す人形屋台(練車)の華麗な行列は、当時から宗落の祭りをもしのぐとていわれ、小藩には過ぎたるものとして近隣に鳴リ響いていました。 現在でも、藩政時代の姿を留めている「おねリ」巡行は、莊厳にして典雅であリ、一瞬藩政時代にタイムスリップしたかと見まがうほどの趣があリます。
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